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福田寺について
 

創建:応永9(1402)年 宗派:臨済宗妙心寺派 

開山:芳栴禅師 開基:三好修理太夫

   【福田寺のはじまりについての諸説】

福田寺の始まりについては、次のように記されている。

一説によると、建長6年(1254)に、建長寺の6世(または4世ともいわれている)が
現在の東栄町 月と 設楽町神田の、村境である「葭瀬(あしぜ)」に建てた『福田寺』が、
その後 神田に移り、田口に再移転した。

また、葭瀬の『福田寺』の6世であった芳栴禅師が、当寺の開基である三好修理太夫の請願に応じ、
田口に移り住んで開山となったという説もある。
(その後、開山禅師は寺を2世に譲り、神田に『東泉寺』を建てて隠居した、とも言われている)

(※御殿村誌、北設楽郡史より)

いずれにしても、現在地に福田寺が創建されたのは応永9年(1402)となっている。

20181114境内モミジ、イチョウ.JPG
20180522花まつり003.jpg


        【福田寺由来記の伝説】

福田寺の由来にまつわるいくつかの伝説も残っている。

『田口由緒書』という書物を元に、昭和4年(1929)に当時の田口町青年団によって編集された

『田口輟耕録(たぐちてっこうろく)』には、

次のような伝説について記されている。

『明徳元年(1390)頃、田口郷石原沢の高峯に、

長さ2尺余りの丸い石像があった。
当時死者が出ると、村人たちが亡骸を石像の前に運び、

ねんごろに供養した。
やがてそこにお堂が建てられ、寺としたのが

福田寺の由来である』

また、福田寺2世の祥麟和尚の口伝では、次の伝説がある。

『ある時、明々と5色の雲が空に翻った。
また、堂が建っている崖下に、光り輝くものがあったので、そこを掘ったところ、地蔵菩薩の像が出てきた。

そこへ1人の僧が現れ、山号を「法雲」と名付け、菩薩像を安置するための庵を作り「夜光堂」とした。』

寺に伝わる口伝によれば、この僧が、

菩薩である行基大士であり、
更に、この時発見された地蔵菩薩像の作者も、

行基大士であるとされる。
現在、寺の本尊として奉られているのが、

この地蔵菩薩像である。

     【地蔵菩薩と山号にまつわる伝説】

上記の福田寺由来記の他にも、地蔵菩薩や現在の山号

「宝雲」にまつわる興味深い伝説も残っている。

まず、地蔵菩薩の伝説から。

『本堂地蔵菩薩像が掘り出された所は、「いなば」という

場所であり、本尊様は明治以前の火災によって、

焼失したと思われていたが、
火災の際に自分でいなばの地まで避難された』 と

いうものである。
(いなばの地より、本尊様を見つけた村人たちは喜び、

頭の焼けた像を再び安置した、と、続く)

次は、山号が「宝雲」となった事にまつわる伝説について。

『文明年間(1469)に、妙心寺(当寺の本山)の雪江禅師の

弟子である、景川禅師が乱を避けて福田寺に一時居偶された。

その縁で当寺は御墨付を賜り、武田信玄公の止宿まで続き、

その頃 山号が「法雲」から「宝雲」へと改められた。』

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               【福田寺の開基について】

以上の由来はあるものの、明確な資料はなく、
福田寺の開基については、はっきりしていない。

わずかな資料として、
『三好修理大夫・仁徳院殿前参議徳供孝範大居士 長享3年(1488)4月19日卒去』という
記録が残されているのみである。

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